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そこは「紅の豚」の世界、美しきザキントス島の難破船のあるナヴァイオ海岸(ギリシャ):カラパイア

 ギリシャのイオニア諸島 ザキントス島には、アニメ「紅の豚」にでてくる、あの海岸のシーンを彷彿とさせるとても青く美しい海岸があるという。

 アーチ状の海岸にはぽつりと赤茶けた難破船が鎮座し、その青と赤、動と静のコントラストがかなり絶景であると人気のスポットなのだそうだ。

 ここに鎮座する難破船は、1980年、密輸業者船「パナギオティス」で、トルコからタバコを密輸する際、ギリシアの海軍に追われ、悪天候も重なり、この海岸に乗り上げたもので、乗組員たちは船をここに置き去りにし逃げ去っていったという。

――デフレを何とかしなくてはならない現状だが、今の日銀の金融政策をどう見るか…。

山本 自民党が選挙に負けた時、その元凶を小泉構造改革や竹中市場原理主義の行き過ぎとする意見が大勢だった。そして、公共投資や福祉の予算を減らしたことや、地域格差が広がったことの議論がなされた。しかし、5年毎に発表する文部科学省傘下の統計数理研究所の国民性調査では、一昨年の秋に国民の57%が「自分たちの生活は貧しくなっていると感じている」という結果が出ていた。今では6割を超える人たちがそう感じていることだろう。つまり、日本人の6割以上が自分たちの生活は貧しくなっていると感じてきたことが、最大の自民党の敗因だと私は思っている。国民は自分の生活が一番であり、それがデフレによって脅かされているということに対する反感が一番大きい。そもそも構造改革や市場原理主義にはマイナス面もあるがプラス面もある。しかしデフレは全てマイナスに働く。企業は商品が売れないためにリストラせざるを得なくなり、デフレで円高になると工場を海外に移す企業も出てくる。観光客も来なくなり、ますます地方が疲弊してくる。結果的にみんなの給料も減ってしまう。この根本を直すことが出来なかったのは、自民党の経済政策が間違っていたということだ。デフレを克服するには日銀を動かすことが不可欠なのに、その日銀を上手に動かせなかった。裏を返せば自民党は日銀に潰されたといっても良いだろう。今、私はその事実を世間に広く伝えて、二度とこのような失敗をおこさないように、私と日銀とのやり取りを赤裸々に綴った本を出版しようと考えているところだ。

――自民党の敗因は日銀との関係にあると…。

山本 自民党の歴代総理や財務大臣は金融政策が全くわかっていないため、日銀に好きなようにやらせてきた。そこが元凶であり、その部分を抜本的に変えない限り自民党の再生などありえない。私は今、党内でも与謝野馨氏と議論をしている最中だが、彼はインフレターゲット政策を「悪魔的だ」と言う。しかし、私はデフレの方がもっと「悪魔的だ」と思う。年金生活者にとっても一番困るのはデフレの物価スライドだ。さらに与謝野氏は「デフレは中国から入ってくる安いものに消費活動が移っていくから生じる」という考えだが、安い中国製品を買って余ったお金で他のものを買えば、差し引きはゼロになる。これは相対価格の変化と絶対価格の変化という、デフレ時における基本的理論だ。そういったことがわからないようでは日銀を論破することは無理だ。私はこれまでの議員生活の中で、経済産業副大臣や法務委員長などを務めていたこともあり、3年ほど国会で質問が出来ない時期があったが、ようやく野党になって質問時間が取れるようになった。これから毎回日銀総裁を呼んで質問攻めにしたいと意気込んでいるところだ。

――日銀に対してデフレを止めさせる具体的な政策案は…。

山本 例えば英米の中央銀行は、リーマンショック後1年間に資産を150%伸ばして各金融機関に資金を供給した。対して日銀は5%程度しか伸ばしていない。これは何もしなかったも同然だ。白川総裁は、他の国と比べて日本の金融システムが比較的安定していたことと、日本の金利が世界一低いということ、そして、GDPに対する中央銀行の資産比率は日本が一番高いということを理由に、日銀が金融危機に対してほとんどアクションをおこさなかった説明をしていたが、私は、その全てに異を唱えたい。この日銀理論は自分の庭先だけしか見ていないものだ。つまり、対金融機関とのことしか考えていない。そこから先は銀行が実体経済を見て資金を供給するかどうかを決めることであり、それに関しては日銀の知るところではないという意識が非常に強い。実体経済が落ち込んでいる時になぜ金融政策を使わないのか私には到底理解できない。また、日本の金利は世界一低いと言うが、これは名目金利が低いだけだ。実質金利を見れば各国マイナスなのに日本はプラス1.8%程度となっており、世界一高い。実質金利が高くて実質資金調達コストが高ければ需要が出てくるわけがない。もう一つ、資産比率がGDPより高いという話に関しては、この20年間名目GDPが全く伸びていないからこうなった訳だ。他の国は2倍にもなっている。それは日銀の責任だ。こういったことをきちんと追及できる人間が必要なのに、なかなかそういった人材がいないのが、今の日本における最大の問題点だ。

――日銀の本来の仕事である物価の安定について、詰めることをしていない…。

山本 まずは政府が責任をもって目標を決め、その手段は中央銀行が独立性をもって行うというのが正しい順番なのに、政府としての目標がわかっていないために、日銀の発言をもとにして目標を決めるようなことをしている。先日の衆院予算委員会で菅財務相は、消費者物価上昇率を1%程度とすることを政策目標にすべきと発言していたが、その理由としては、「日銀が適当な水準としているから」というだけの理由だ。ただ日銀のレクチャーにうなずいているだけではないのか。さらに、日銀が国債を買うと国債価格が暴落して長期金利が暴騰するという説も、大方の人間はそのまま鵜呑みにしてしまう。本当に自分で考えている人が一体どれだけいるのか疑問だ。そもそも長期金利が暴騰する理由は二つある。一つは、予想インフレ率が上がったことによって、名目長期金利が上がる時だ。もう一つは、政府の財政運営に不安があるときに、リスクプレミアムが異常に上がって長期金利が暴騰することがある。これに沿って考えてみると、もし、予想インフレ率が上がるから長期金利が上がると言うのであれば、日銀が今まで説明してきた「お金を供給してもデフレは止まらない」という説とは180度違うものになる。また、リスクプレミアムが上がると言うのであれば、これは鳩山政権の財政運営を非難するということだ。しかしながら、万一、本当に財政に対する不安が高まり、リスクプレミアムが上がって長期金利が上昇すれば、国債をもっている人たちは売りたくなる。それをどんどん日銀が買えば良い。そうすれば、市中では定期固定金利商品から株や外貨へと資金が流れていく。その結果、株が上がって円安になればそれが一番良い。韓国でもウォン安にしたからサムスン電子など、たくさんの企業が力をつけた。日本も株価が上がって円安にすれば景気も良くなる。今のように、いたずらに金利が低くて大量の国債を発行しても売れるからおかしくなる訳だ。いずれにしても、長期金利が上昇して株が上がり円安になることはデフレ脱却には良いはずなのに、長期金利が上昇することが悪いという風潮をつくるマスコミ報道は、一体何を考えているのかと思う。

――日銀の政策だけにすべてを頼るわけではないが、少なくとも今の日銀のスタンスは良くない…。

山本 白川日銀総裁は、市場を安定させるために量的緩和政策は効かず、唯一効果があったのは時間軸効果だったと自著で主張している。低金利を長く続けるというアナウンス効果が効いて金利に安定感を生み出したという訳だ。つまり、金利水準が低いレベルにあれば別にゼロにする必要はなく、それを長い間続けるというアナウンス効果が効くと論じ、それを実践している。私はかつて統計学的に量的緩和政策が効いたという大阪大学の本田祐三氏の論文を白川日銀総裁に説明したこともあったが「私は実務家なので、あるひとつの理論をドグマティックに捉えるわけにはいかない。」と言う。それでは名目金利をとにかく0.1%に据え置いておきながら、ゼロにしないということに固執しているのは何なのか。早く金利をゼロにして、国債買いきりオペや市場からの買い取りなど、当座預金をいたずらに膨らませることではない形での量的緩和を銀行や非銀行部門に行えば、お金は動き出す。大量の資金を継続して供給していけば効果を表すはずなのに、それを一年でやめてしまったのも間違いだった。

――日銀から各金融機関にお金が渡った後、そのお金が市中に出回るようにするには、金融庁との連携も必要だ…。

山本 最低預貸率を決めて守らせるようなことも必要なのかもしれない。もしくは、米連銀と同じように、日銀法を改正して、日銀の金融政策に物価の安定と完全雇用といった実体経済の分野に対しての責任を持たせるようなやり方もある。また、当座預金に0.1%の金利をつける意味が私にはわからない。そんなものは早くゼロにして、他のところにお金を回した方がいいというふうにもっていくべきだ。こういったことがわからないから自民党は潰れてしまった。ここで民主党政権でもきちんと立て直せなかったら日本はおしまいだ。銀行、証券、マスコミなど、金融に関わる人達がもっと勉強して、金融政策に対して自分なりの意見を述べて日銀を論破していくことが、今、求められている。(了)

しかし天下りの合理的分析も、公共選択論的分析(官僚や政治家も利益最大化で動く)も、ジャーナリズム的匿名記事もすべて「陰謀論的」と表現したり解釈する、いまの一部のネットの意見には開いた口がふさがらない。それでいて、産業政策(政府が成長分野をみつけてそれを育成するなどというもの。グリーンニューディールとか成長戦略とかいわれるものや、もっと身近ではアニメ・マンガの国際戦略なんかもその類)みたいな官僚の能書きだけの中味のない政策はころっと支持。基礎教養がないのか?

 これを読んでいて思うことは、やはり法的根拠のない政策決定や政策形成の場など、ほとんど意味がない、ということです。例えば本書でも指摘されていますが、自公政権時代の経済財政諮問会議が廃止されたため、日銀との交渉の場どころか、各省庁や利害関係者との調整の場が実効性のあるものとしては不在だといういまの日本の状況は深刻でしょう。もう政権発足後、半年を軽く上回っているのにその状況には変化はありません。

 本書では、予算の編成過程の舞台裏、成長戦略の空虚さ=産業政策が単に天下り政策であることなど、相変わらず面白い分析が盛り込まれています。まあ、これを読んで思ったことは、小泉政権はかなり意欲的な試みであったことがよくわかりますね。いまの鳩山政権は政権奪取まで十分な時間があった(かなり早い段階から政権交代の予測があったはず)にもかかわらず、政策を実行する「法的根拠」とその政策の具体的な中味の詰めをほとんど行ってこなかったツケが、いまに至るも継続しているわけなのでしょう。

実際、日本では政府による財政支出は「バラマキ」という言葉で激しい批判の対象になります。特定の業界や地方が潤う公共事業だけではなく、麻生政権の定額給付金や、鳩山政権の子ども手当など、国民に幅広く支給される財政支出ですら、激しく批判されました。この現象は一見「小さな政府」を重視する保守的な(あるいは「新自由主義」的な)動きのように思えますが、このように考えると「内集団ひいき」的な考え方に基づく動き(端的に言えば「よそ者に俺の税金をばらまくな!」)とみなせます。

また、「事業仕分け」のような「ムダを省く」政策に対する国民の支持が高いのも、「内集団ひいき」的な考え方の持ち主にとっては、「よそ者に俺の税金を回さない」政策と考えられているからでしょう。


アメリカのような「内集団ひいき」的な文化がなく、集団の内外で別け隔てなく接する社会においては、ここまで述べたような問題はないでしょう。だから市場による自由競争と政府による所得再分配の双方を嫌うことはなく、少なくともどちらかは好むでしょう。一般的に保守派は前者、リベラル派は後者を好み、その違いが政治的な対立となっています。この図式をそのまま日本に持ってきて、市場による自由競争と政府による所得再分配は対立するものだと考えてしまうと、日本では両方とも嫌われているという傾向は理解出来ないでしょう。

しかし、市場による自由競争も政府による所得再分配も、集団の内外で別け隔てなく接するという点では共通しています。だから、市場競争と所得再分配は、資本主義社会の「車の両輪」として機能するのでしょう。「内集団ひいき」的な社会がその点を嫌うと考えれば、日本の状況も理解できるのではないでしょうか?

 しかし、日本のような後発国に顕著だが、研究に必要なカネやモノやヒトは、極めて少数の機関に(日本なら帝国大学に、そしてさらにその一部に)集中していて、その一員となり、ひとかどのポジションを得ないと、莫大な研究資本が必要な「実証研究」は、諦めるより他ない。

 では、マッド・サイエンティストはどうするのか?

 帝国大学を放逐された彼らは、専門知識にレトリックとイマジネーションを加えて、筆だけを武器に世間と渡り合うことになる。
 千里眼事件で東大を追われた福来友吉が、中村古峡が編集する半学会誌『変態心理』で筆をふるったように。

 つまり、マッド・サイエンティストに残された道は、ヒューマニティーズ(人文学)という知の静脈部門、文献に埋蔵される知のリサイクル・リユースを生業としたジャンルしかない(文藝評論家は別として)。
 ここでは、大した研究資本は要らない。
 たった一人でも長い年月をかけて、しずくが岩を穿つように、学問を大成することができる。

 こうして、かつてならマッド・サイエンティストとなっていたであろう孤高の才能は、マッド・ヒューマニストになるのである。

 ここでは私立大学出身故に、学者コミュニティから相応の承認を得られず、無視シカトといじめにあいながら、大輪の花を咲かせた白川静の漢字学と、そこまではいかないが谷沢栄一の近代書誌学を挙げておこう(谷沢の場合、書誌学だけではルサンチマンが昇華せず、『紙つぶて』になるのだが。書誌学の方も、もっと頑張れ。『日本近代書誌学細見』の後に予告されていた『日本近代書誌学要綱』『読書参考文献備要』はいつ出るのだ?)。

 自民党の福田康夫元首相は20日、党本部で開かれた憲法改正推進本部の会合で、参院の現状について「今のやりかたであるなら二院制の必要はない。参院が政争の具に使われないようなシステムにしなければいけない」と述べ、憲法改正では党派色のない参院にするように検討すべきだとの考えを示した。

 参院に党派色が強まったのは「自民党総裁選だ。参院を握った方が圧倒的有利を誇るからだ」と分析。その上で、民主党の小沢一郎幹事長の「力の源泉」についても言及し、「小沢さんが民主党で力があるのは、参院を握っているからだ。言っちゃ悪いが、輿石(東参院議員会長)さんがこけたら、小沢さんはやりようがなくなってくるんじゃないか」と述べた。

 遠藤著を読んでいると、「占有権」というものをどう考えるかというのが実は民法上のみならず憲法上もすごく重要であるような気がしてきたのだが……。

 結局のところ人権というのはある種の身分のことに他ならず、身分というのは財産と不可分である。(身分とは単なる人の地位のことではない。生態学的な言い回しを使えば「ニッチ」であり、つまりはその地位ゆえに利用可能となり、その存在を支える社会的・自然的な資源--つまりは排他的所有物をその典型とする「財産」とのセットなのだ。)

 自然権としての人権という概念に危うさがあるとすれば、人権を支えるこの意味での財産とは何なのか、が見えにくいところにある。『「資本」論』での拙論を延長すれば「労働力=人的資本」がそれだということになるのだろうが、やはりそれではどうにもパンチに欠ける、というか足りない。

 そこで居住権を含めた占有権ということについて少しまじめに考えてみた方がよいのだろう。自分のものではなく、賃料も払っていないある場所に、一定の限度はあれ追い出されずに居続ける権利というものがあるとして、それは何か?

 でも、何をどう勉強すればいいのかな? 手元の民法入門書じゃ何とも心許ない。

和を重んじるんじゃなくてただの足の引っ張り合いだろがwww